【織田家臣団ランク付け】明智光秀と羽柴秀吉は何位?

2020-03-04に共有
【動画の目次】
概要 00:00
織田家の重臣をランク付けすると光秀は何番目? 01:15
真の実力は二百万石以上?明智光秀の実力 02:53
柴田勝家や丹羽長秀にもそれぞれの長所あり 04:32
羽柴秀吉の真の実力 05:42
戦国時代ライターkawausoの独り言 06:42


2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は明智光秀です。主君、織田信長を討った事で逆賊認定されてきた事もあり、知名度は強力ですが以外にも光秀の家臣や勢力や、織田軍団でどの程度の実力を持っていたか?というような事はあまり知られていません。

戦国ドラマ等では宿敵となる羽柴秀吉と出世レースを展開していたと言われたりしますが、それは本当なのでしょうか?そもそも、それ以外の織田家臣団でのランクはどうなっていたのでしょうか?調べてみました。

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#明智光秀 #羽柴秀吉 #織田信長

コメント (21)
  • こんにちは!はじめての三国志TVです。 日本史の考察に特化したサブチャンネル「ほのぼの日本史」を開設しました♪ まずは「はじめての三国志TV」で日本史の動画を配信していますが、上記のアナウンスを行い、2020年5月までに完全移行を計画しています。サブチャンネルも登録して頂けると幸いです。 【ほのぼの日本史】 www.youtube.com/channel/UCaxtuZlvuipf74X0dqd0g8Q/f… サブチャンネルのコンセプトは、歴史がきっと好きになる!複雑な歴史もみるみるわかる。 暗いニュースを断ち切り、心も体も疲れ切っている現代人の心に灯りをともす「ほのぼの日本史」となっています。何卒宜しくお願いします:)
  • @kojik2943
    河尻秀隆とかいう地味に猛将気質のある有能な武将
  • 本能寺の変は、光秀からしたら下手に根回ししてチクられるより、最初に結果を作ってそこから味方を増やしていくつもりだったのかもですね。
  • 生野(いくの)銀山が正しいと思いますがいかがでしょう?
  • 柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀がTOP五人衆でしょう。
  • 羽柴さんの場合、あくまでも方面軍としての石高で、大国毛利と対峙するための地盤の意味合いが強かったのでは?
  • 織田軍団オールスターすぎ! ・織田信長本軍 稲葉一鉄、堀秀政、蒲生氏郷、磯野員昌(旗本)、丹羽長秀、八屋頼隆、九鬼嘉隆、池田恒興(遊撃軍)、など凄いメンツ。他に織田家身内、森蘭丸(小姓衆)、槍弓衆、足軽衆、奉行衆など合わせ4万以上の兵 また同盟で徳川家、北条家 ・臣従(外様大名)で姉小路家、十河家、三好家、宇喜多家など 荒木村重、松永久秀、別所長治、波多野秀治などは離反 1582年頃は島津家や伊達家も従軍になる方向性で信長とやり取りを進めてたらしい。 ※方面軍が編成されてからの軍団や討伐戦(1576年頃〜1582) ・武田征伐は織田信忠 信忠軍には川尻秀隆、森長可、毛利長秀、木曽義昌、水野守隆など4万の兵 ・上杉討伐は柴田勝家 柴田軍には前田利家、佐々成政、佐久間盛政、金森長近、不和光治など3万の兵 ・毛利討伐は羽柴秀吉 羽柴軍には竹中半兵衛、黒田官兵衛、羽柴秀長、蜂須賀小六、尼子勝久など4万の兵 ・長宗我部討伐は織田信孝 信孝軍団には丹羽長秀、八屋頼隆、津田住澄、三好康長など2万の兵 ・関東管領(関東平定)は滝川一益 滝川軍には滝川一族、前田慶次、真田昌幸、北条高広など2万の兵 ・近畿管領(丹羽平定)は明智光秀 近畿内の織田家家臣は細川藤孝、池田恒興、筒井順慶、高山右近、中川清秀など錚々たるメンバーで4万の兵 ・淡路平定(秀吉軍からの淡路遠征) 仙石秀久、黒田官兵衛 ・伊賀平定は織田信雄軍、他信長の家臣 信雄軍は木造具昌、中川重政 ・飛弾平定 姉小路良頼 ・紀伊討伐や大阪本願寺討伐は明智光秀や丹羽長秀、佐久間信盛など他多くの選抜された家臣で行っている。 ・事務方官僚 村井貞勝、武井石庵、松井友関など 信長・信忠本軍や方面軍を合わせると20万人もの兵力がいたとか。徳川や外様大名も合わせると25万人以上の兵力になる。 関ヶ原の戦いでも8万人VS10万人の戦いだが、信長だけでも両軍と戦えそう。 信長が本能寺で倒れて豊臣政権が始まるが秀吉の時代に活躍する五奉公の長束正家、浅野長政、前田玄似や宇喜多秀家、京極高次、山内一豊などは元々は信長直下の家臣。 五大老でさえ前田利家や宇喜多秀家は信長の家臣で徳川家康は同盟相手。 毛利輝元や上杉景勝は本能寺の変がなければ滅んでいたと示唆されている為、それらの人物を統率し滅ぼすこともできる信長の影響力は底知れない。
  • 1582年当時なら 1.明智光秀(近畿方面軍総帥) 2.羽柴秀吉(中国方面軍司令官) 3.柴田勝家(北陸方面軍総大将) 4.滝川一益(関東方面軍指揮官)
  • @rosan6179
    柴田、丹羽、明智、滝川、羽柴の5人が最高位か 中途採用が3人も入っているのが信長らしい
  • 生野銀山は(しょうのぎんざん)ではなく(いくのぎんざん)ですよー
  • @73moto
    光秀の担当地域は京都も含まれて朝廷との外交も有るから与力に当時て武士で教養が深いインテリで和歌の古今伝授者の細川藤孝を配下にした事は信長から相当な信頼された
  • 日本語の難しさは、言葉を駆使して、読者の想像力をどれだけ、刺激できるかにかかってる。
  • @nao-kf3xz
    数字で歴史を見直すのは面白いですね、ロマンでみていたものが、シビアな数字を通して、違うロマンを想像させてくれます
  • 当時の日本の最重要地であった畿内を任されていたという時点で、光秀が信長からどれだけ評価されていたのかは想像つきますよね
  • 柴田勝家も与力に前田利家、佐々成政、佐久間盛政、金森長近といった面々がいてそれなりに高い
  • @O-mega51
    あと光秀は坂本の権益に加えて本願寺跡地の大阪の権益まで握ってます。コレだけで琵琶湖〜淀川水運は独占していた上に本領丹波に与力衆の丹後、大和、摂津まで加わりますし、なんと言っても安土、京に近い。信長の信頼を一手に引き受けていたでしょう。家臣団no.1は間違いない。秀吉、勝家も多忙だったでしょうが毛利、上杉と言う敵を抱えてますので同じく武田という敵を抱える家康と同程度の信頼、という事になります。自然と信長の所務は光秀の仕事になるのでそれを超える激務であった事は容易に想像できます。
  • 「ランク付け」と銘打っている割には比較の基準や根拠が曖昧で、結論ありきで語られている印象が強いですね。 石高比較に寄騎大名を入れてしまうのは無理やり過ぎます。寄騎は現代で言うなら同じ会社・同じ部署の部下であって異動もあり、恒常的な直属の家来ではないです。 そのあたりは本能寺の変直後の動静で、光秀がリアルに当てにしていたのは細川藤孝・忠興父子と筒井順慶くらいのものだったことや、同じく近畿にいた中川清秀・池田恒興や日野の蒲生賢秀・氏郷父子の行動を見てもわかります。 各方面司令官で柴田勝家・滝川一益を比較対象にしていますが、本能寺直前なら織田信孝付きで四国方面軍の準備に加わっていた丹羽長秀も入れて欲しいですね。 秀吉と光秀の比較で付け加えるとするなら明智光秀は信長の正室の従兄弟なので(やや遠いが)縁戚にあたり、それも含めて出世が早かった可能性があります。他方、秀吉はこの時期、実子がいないため信長の四男(秀勝)を養子に迎えており、その根回しで信頼を得ているので互角でしょうか。 また近江坂本の商業収入を評価して石高だけで比較できないとしているのはそうだと思いますが、経済力を指標にするなら最終的には動員兵力で比較したほうが良いかもしれませんね。
  • なんで方面軍の勝家の領地には佐々成政や前田利家の領地が含まれてないの
  • 本能寺が無ければ「明智光秀」という優秀な部下がいました。ぐらいの扱いやったんやろうか