【BS11】偉人・敗北からの教訓「第43回 シリーズ信長③ 信長と足利義昭・擁立した将軍の追放」2024年5月4日放送分見逃し配信

Published 2024-05-04
3週連続で天下人・織田信長の人生における敗北に注目する第3回。今回は、室町幕府十五代将軍・足利義昭との関係を巡る失敗から、明日を生きるための教訓を探る。十三代将軍である兄・足利義輝が殺害され、各地を転々としながら幕府の再興を目指していた義昭は、天下布武を掲げる信長と合流し、上洛を果たすと、自らが望んでいた将軍に就任。信長の支援を受けながら、政権の基盤を確立しようと尽力していた。
ところが、信長の台頭に反発する諸大名らが信長包囲網を形成。信長と義昭が戦いの渦に巻き込まれると、やがて、二人の関係が悪化していく。義昭は一転、信長包囲網に加わり、信長と戦う道を選択するが、圧倒的な武力の前に屈し、京を追放されてしまう。そして、遂に幕府も終焉を迎える。信長はなぜ、自らが擁立した将軍・義昭を追放し、再興を目指していた室町幕府を滅亡させてしまったのか?
義昭は備後国に逃れ、鞆幕府を興すと、毛利輝元を副将軍に任命し、打倒信長を目指す。信長は義昭が新たに形成した信長包囲網との戦いを余儀なくされた。そんな中、本能寺の変が起こり、信長は志半ばでこの世を去る。信長の死により、間接的にではあるが、義昭の目的は達せられた。もし、信長と義昭が袂を分かつことなく、二人による天下布武が続いてたら、日本の歴史はどうなっていたのか?
(2024年5月4日放送の期間限定見逃し配信です。)

#BS11 #織田信長 #足利義昭 #室町幕府 #室町時代 #安土桃山時代 #江戸時代 #平安時代 #明治時代 #戦国時代 #歴史 #日本史 #偉人 #伊東潤 #中西悠理

【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)

【配信期間】
2024年5月4日~5月27日まで

📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!
   • 歴史「偉人・敗北からの教訓」ほか  

【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる9時00分~9時55分放送
※4月から放送時間が変更になりました。
番組公式HP:www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/

<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。

【BS11+ 公式Instagram】
www.instagram.com/bs11plus

【BS11+ 公式X(旧Twitter)】
twitter.com/bs11plus

All Comments (21)
  • @user-th8bi9ib8s
    ここはいろんな歴史学者が出てきて面白いよ。 真骨頂だよ。学者は活かして用いないと。。。
  • @user-ex5bd3up7q
    加来先生はよく戦国時代の人物を三国志の人物と比較していましたが、 信長と義昭の関係は曹操と献帝といったところでしょうか。
  • @hiropon9
    足利将軍家は直轄領が少なく、幕臣を繋ぎ止めようとすると横領を黙認するしかない。ただそれだと寺社勢力の反感を買い、室町幕府は持たなかったと思います。ただ、信長から領地を与えられたら信長の家臣になってしまう(明智光秀、細川幽斎など)ので、これは室町幕府のどうしようもない構造的問題だと思います。 因みに鞆は、足利尊氏が九州に落ち延びたあと、反転攻勢した拠点、また足利義稙が京都から落ち延びて大内氏の力を借りて将軍に復帰した拠点。将軍が京都から出たら戻ったりを繰り返した当時の人は、幕府が滅びたと思ってたんでしょうか?
  • @user-yn4xn3cp6b
    今回の教訓の「どんな事があっても相手方の人間性を批判しないこと」は、日常生活をおくるうえでは、とっても需要だと思いました。 なぜなら、相手の人格を批判するときりがなく相手との関係を修正することができなくなるからです。 また、伊東先生のアナザーヒストリーは、すごく壮大な構想で、もっと織田信長を勉強したいと思いました。  伊東先生の織田信長の書物も読んでみたいです。
  • @uniikura2023
    中西さんカチューシャも似合ってて可愛いです!!
  • @user-kz3su8wg3f
    目的のためには手段を選ばない信長からすると蜜月関係の破綻は必至の理でしょうね😅
  • @mantle-farmer
    義輝、愛刀コレクションを畳や柱に突き立て、五十人斬りの果てに凄絶な最期
  • @user-ez1ne9wr4g
    現代でも2人で会社を興したが分裂して潰し合いするのはよくある話
  • @user-jv6zc6xn8p
    いろいろ研究が、進んで、人物像が、変化している。しかしながら、織田信長は、世界史にも誇れる人物だと、思う。
  • @user-qy5po3ij4w
    義昭が信長包囲網をつくりあげたと思っていた。 和睦の申し入れするために信長が剃髪??初めて聞きました。
  • @user-gi4vt3hg1g
    優秀の有無関係なくどんな人間でも人格までは変えたくてもできないからな……… 過去の人生が原因で人格が形成されているから過去は変えることは誰にもできない………
  • @woomin-troll
    義昭が信長でなくてもよかったように、信長も(足利氏なら)別に義昭じゃなくてもよかった☺️ 三好に担がれる前に義栄に協力🤝を請われたら 応じてたかもしれない🤔
  • @user-tj1he2dl7d
    最初から詰んでたのでは? そのつもりで育ってきてないのにいきなり還俗させられて将軍に、しかも武力も領地もない、確固たる人脈もないではかなりきついポジションだっただろう。
  • @HIDEHIDE-ol8so
    足利幕府並びに将軍の権威が失墜し、義昭は幕府による中央政権体制を望んでいたが、各大名は幕府の再興なぞを望んでいての織田包囲網の挙兵でもないのに、義昭はその事すら気が付かなかったのだと思います。義昭は大人しくしていても信長から用無しになるころ、仮に信長が討たれた場合でも、次の権力者から追放か蔑ろにされていたと思います。自らの武力を持たない将軍に我が身を預ける大名なぞ、ほぼほぼ存在しないと思います。 しかしながら信長からすれば義昭は手古摺る将軍ではあったと思います。
  • @user-eg6hf1lj5d
    一番新しい中世史で天皇から見たら武将なんか犬か馬。将軍からすれば人間扱いには昇格してそうだけどやっぱ臣下扱いの意識はあったので話し合いとかはまぁ無理そう。まぁ物わかりの良い将軍だと権威がさらに落ちちゃうしなぁ。
  • @kiyotei2000
    近年の研究で、多くの人物の印象が変わる。 歴史のイメージが良くも悪くも変わってロマンがなくなってきたな。特に信長
  • 信長型の行動気質の歴史上の人物は聖徳太子・藤原不比等・羽柴秀吉・徳川家光・ 島津斉彬・鍋島直正・大村益次郎・伊藤博文・小栗上野介など。常に国家の形を 想定しながら行動する。 斉彬や直政は先駆して技術開発に望むが倒幕より外国勢力に日本がどう対処するか に注力する。目の先が将来の国の形に向いている。 義昭を始め同じ気質の戦国の武将は大変多い。謙信・信玄・氏康・元就・道三・ 本願寺顕如と。だが国家のあり方などから行動しているとは思えない。 自己所領と周りの取り合い。権謀術策と猛将の気質なので戦いに強いのだが、 国家のあり方から行動する信長型や家康型の戦略家には叶わない。 下剋上の戦国の世で土地の支配構造も変化しているので、足利の権威では収めきれ ない。力のある者が天下を収めなくては纏まらない。義昭は戦略脳ある信長に翻弄 された。 戦略脳の有る者は危機に至っても回避する手立てを次々に考え出す。 信長の行動気質から国内を収めれば目は海外に向く、すでにスペイン・ポルトガル の時代。国を守るために海外に拠点を求める。同じ気質の秀吉が後を継ぐ。 しかし晩年の秀吉は光秀型に変貌したため、相手の明を軽く見て失敗する。 最強の軍事国家だったのに秀吉の戦略の失敗で海外雄飛の夢は絶たれた。
  • @user-ge2wz4hi4b
    それほど研究が進んだというよりあまりにも研究が進んでいなかったかもしれないですからね。  やはり信長は本能寺の変で終わりましたけど、運がついていたからこそかもしれないですね。 ちなみに天下布武の天下も日本全体ではなく京都もしくは京都と五畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津国)らしいですから、これは知った時は驚きましたね。